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誰が絵画を殺したのか?

 

私は昭和51年に日本で生まれた日本人であります。時代は太平洋戦争に敗戦後、日本は文化の面では急速に欧米化(アメリカ化)され、社会的には十分に工業化された時でした。現在アメリカに住む日本人として感じるのは、我々日本人は時とともに我々の伝統を失いつつあり、その結果伝承的な寓話などをも忘れつつあります。アメリカに渡り日本に住んでいる日本人より日本の文化に大変興味があり造詣が深い作家がこちらには非常に多いということを知りました。私の活動は現代の日本のフォークロアとなり得るような感覚を思い起こさせる作品をつくることによって、日本の伝統的な趣を理解して私自身にとっての文化的な価値を保護するということです。

 

2015年に「Color Knitting – カラー・ニッティング(色編物)」というシステム・ペインティングを構築しました。このシステムで作品を製作することは自分が現代の世界で一人の日本人として生きるということは一体なんなのか?という問題を理解することに役立っています。このシステム・ペインティングは伝統的な日本文化特有のイメージと大量消費で情報過多な現代で頻繁に目にするイメージを繫げるためのものです。クロス・ハッチングやストライプのパターンは日本の伝統的な織物や籠から影響を受けています。色の組合せは単にアメリカのトイザらスで買ったおもちゃのネックレスから拝借しました。私にとってこの色合わせは現代のアメリカ文化を強烈に感じさせる配色なのですが、これらの配色は欧米化した社会では世界中どこででも見られるものです。画面の構成に関しては「ちぎり絵(貼り絵)」というちぎった色紙をノリではる日本の伝統的なコラージュをそのまま採用していますし、キャンバスやパターンの正方形のフォーマットは折り紙と同じです。システム・ペインティングではありますが、製作する上では「手で描く」という行為を大事にしています。それによって作品には若干のブレや不均等が生じ、「わびさび」という日本文化独特の美的感覚〜不完全性の美、もしくは完全性と不完全性の融合による美〜を感じると言われるアメリカ人も多くいます。

 

日本人の画家として、私はいかにアジアの美術的価値が世界中の素晴らしい美術に貢献できるか?という問題のために活動しています。勿論、ペインティングという西洋美術がアジアの作家にとっては違ったふうに機能していることは理解しています。日本で美術学生だった頃から平面表現に主眼を置いていました。しかし、その頃から多くの日本人の美術教師・作家の人たちから絵をやめて他の表現方法を追いなさいと言われ続けてきました。そういう人たちは日本でいわゆる「絵画の死」という考え〜写真の登場以来西洋美術で何度となくうんざりするほど言及され西洋美術の自文化中心主義を世界に対して華々しく象徴する考え〜の中で教育を受けてきた人たちです。しかし私のような日本の美術作家がこのような非・西洋美術が持つ二次元表現に対する違った考えをいつも無視する「絵画の死」という考えをどうして従わないといけないのでしょうか? 我々日本の美術作家は絵なんて殺したことはありませんし、今後も殺すことはないでしょう。西洋美術作家が他の我々日本を含む非・西洋美術になんの配慮もなく勝手に絵画を殺しておいて死んだと言っているだけです。そんなものに私が従う必要などどこにも無いわけです。さもなければ、日本の現代絵画は決して西洋美術にとってのオリエンタリズムや異国趣味という扱いを克服することはできません。私は西洋美術と日本・アジアの文化の交差する地点を探しその文化間の最大公約数(お互いに割り切れないもの)を見つける日本の現代平面作家として、自分の能力と考えを発展させています。人間のもっとも根本的で主要な活動や行動として世界中の絵画の歴史に呼応する、本当の日本の現代における平面作品を確立するために活動しているという訳です。

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ホメオスタシス(恒常性の維持)

 

造形作家として、また一般の仏教徒として、私はアジア人の着想で西洋美術を解釈することに励んでいます。そのために私がしなければいけないことは中国の老荘思想の影響を受けた日本の仏教的着想を西洋のペインティングの方法に導入することだと思っています。

 

私が手がける美術は人間の存在や生活の恒常性の維持(Homeostasis)のためのものであります。今、我々の人間性は自然から分離してしまい社会生活は過剰に理性によって埋め尽くされていると言えるでしょう。我々はバランスを崩している。私の美術作家としての役目は、理性によって自然への感覚を分離されてしまった人たちをまた自然へと結びつけるこということです。何故自分が造形美術作家であるかというと、造形美術もしくは非言語表現は理性に支配される言語的な行動に依存することなく、そして必要以上に人間を自然から乖離させないからです。老荘思想で「無為自然(What-is-so-of-itself)」という言葉をご存知でしょうか? この言葉は日本の仏教に非常に影響を与えており、私の二次元表現の心掛けを端的に表しています。「無為」とは「意図なしで」「作為なしで」と言えるでしょう。日本語で「自然」とはズバリ自然でありますが、老荘思想の文脈ではこの「自然」という言葉自体が自然を説明してくれています。多くのアジアの国々では自然とは物質としての意味だけでなく「それ自体でそれになる存在」という意味にもなります。私は絵を描いている最中に、その絵自体の内発的な自立性が現れることと遭遇することがあります。一度その自立性が製作途中の絵自身から現れると、そこから絵はそれ自身で絵になり始め、私はその自立性に随ってただ形と色を載せていくだけです〜美術とは人工物ではなく生き物である;すなわち「自然」である。雲は水蒸気と気温によって発生し、風は大気圧の違いによって生じます。私のペインティングは色と形でキャンバスの上に出来た自然現象なのです。このように、私の造形作品は人々の日常生活のバランスを狂わせる過剰な理性を中和するために、見る人に自然の感覚を提供するためのものです。

 

 

 

美術=栄養

 

在日の韓国人として、私の家族には日本での歴史が80年しかありません。したがって私には日本の伝統というものの根幹にまで深く帰属することはできません。戦後の日本文化に同化してきた家庭に生まれた身として、韓国の文化に触れる機会もそれほどあったわけでもありませんでしたし、家族それぞれ韓国へは行ったこともありません。だから自分が韓国人だと心から感じたことなど一度もありません。とある日本の美術系の学校に通ってはいましたが、その学校はアメリカの美術教育を多く取り入れた学校だったので卒業した後どうしても日本の周りの美術の環境には馴染むことができませんでした。だからいつも自分は日本からも韓国からも、そして日本の美術からも部外者という意識しかありませんでした。当然アメリカにいれば自分は日本から来たのだから部外者という意識は強くなります。自分には帰属する場所がないのだから結局何者でもないんでしょう。

 

しかし、よく考えてみれば結局それが自分自身なわけだということです〜自分はいつも「何かの間」にいる。日本と韓国の間、アジアの人間として日本の文化とアメリカ・西洋の美術との間に立っている。どうせポスト・モダンとか周りは行ってるわけですから、自分が帰属する文化や場所がなくて自分が何者なのか分からないと嘆くぐらいなら、美術作家として自分がどんな人間かなんて勝手にでっち上げてしまえば良いわけです。

 

私の作品は人間と自然(状態)を和解させる試みとして存在しています。平面空間の中で色と形をつかい、我々の生活が異常に物質的・理性的になってしまい日常生活をおくる中で失ってしまった自然の実体に触れる機会を見る人に提供することであります。現代の物質的で超がつく消費社会はとんでもない量のびっくりするような魅力的な商品をエンターテイメント産業を通じて提供し、我々もそんな商品に満たされている生活を十分に享受しています。しかしこれを食べ物に例えるのならば、エンターテイメント産業がもたらしてくれるものは添加物を多く含んだお菓子やデザートと言えるでしょう。そういう食品は美味しいでしょうがあまり健康には良くないし何の注意もなく必要以上に取りつづければやがて健康に害を及ぼしてしまうでしょうし、実際及ぼしています。

 

私の作品は野菜や果物や肉のように人間の心の健康に貢献するためにあるべきだと思うので、自分の作品を農作物に例えるのが好きです。農作物は人間の技術と自然環境との産物であり我々に多くの栄養を与えてくれています。たとえ我々が今まで農業技術を進歩させてきたとしても、農作物を生産する上では自然環境に頼らなければなりません、当たり前ですが。そして、たとえ現在の技術革新が多くの食物製品を作り出しているとはいえ、農作物は人間の技術と自然の恵みの”間”で生み出されるものであるので、土から採れた作物はより体に良く「作り物」ではない本当の味があります。野良仕事とは「人間と自然の”間”」の調停・仲裁であり、私の作品も見る人の健康的な生活のために「文化的」な栄養を供給する人間と自然との間の調停・仲裁であります。私は美術作家として、自然の実体を抽出し、それを見せるために人と自然との間に立っています。

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